P--1075 P--1076 P--1077 #1嘆徳文    嘆徳文 【1】 それ親鸞聖人は浄教西方の先達、真宗末代の明師なり。博覧内外に渉 り、修練顕密を兼ぬ。初めには俗典を習ひて切瑳す。これはこれ、伯父業吏部 の学窓にありて聚蛍映雪の苦節を抽んづるところなり。後には円宗(天台宗)に 携はりて研精す。これはこれ、貫首鎮和尚(慈鎮)の禅房に陪りて大才諸徳の 講敷を聞くところなり。これによりて十乗三諦の月、観念の秋を送り、百界 千如の花、薫修歳を累ぬ。ここにつらつら出要を窺ひて、この思惟をなさく、 「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ 覆ふ。しかるに一息追がざれば千載に長く往く、なんぞ浮生の交衆を貪りて、 いたづらに仮名の修学に疲れん。すべからく勢利を抛ちてただちに出離を&M010661;ふ べし」と。しかれども機教相応、凡慮明らめがたく、すなはち近くは根本中堂 の本尊に対し、遠くは枝末諸方の霊崛に詣でて、解脱の径路を祈り、真実の知 P--1078 識を求む。ことに歩みを六角の精舎に運びて、百日の懇念を底すところに、 親り告げを五更の孤枕に得て、数行の感涙に咽ぶあひだ、幸ひに黒谷聖人 (源空)吉水の禅室に臻りて、はじめて弥陀覚王浄土の秘&M011728;に入りたまひしよ りこのかた、三経の冲微、五祖の奥&M036887;、一流の宗旨相伝誤つことなく、二門の 教相稟承由あり。ここをもつて仰ぐところは「即得往生住不退転」(大経・ 下)の誠説、あたかも平生業成の安心に住し、馮むところは「歓喜踊躍乃至一 念」(大経・下)の流通、これすなはち無上大利の勝徳なり。よりて自修の去行 をもつて兼ねて化他の要術とす。ときに尊卑多く礼敬の頭を傾け、緇素挙りて 崇重の志を斉しくす。 【2】 なかんづくに一代蔵を披きて経・律・論・釈の簡要を擢んでて、六巻の 鈔を記して『教行信証之文類』と号す。かの書に&M012932;ぶるところの義理、甚深 なり。いはゆる凡夫有漏の諸善、願力成就の報土に入らざることを決し、如来 利他の真心、安養勝妙の楽邦に生ぜしむることを呈す。ことに仏智信疑の得 失を明かし、盛んに浄土報化の往生を判ず。兼ねてはまた択瑛法師の釈義につ いて横竪二出の名を模すといへども、宗家大師(善導)の祖意を探りて、巧み P--1079 に横竪二超の差を立つ。彼此助成して権実の教旨を標し、漸頓分別して長短の 修行を弁ず。他人いまだこれを談ぜず、わが師(親鸞)独りこれを存す。また 『愚禿鈔』と題するの撰あり、同じく自解の義を述ぶるの記たり。かの文にい はく、「賢者の信を聞いて愚禿が心を顕す、賢者の信は内は賢にして外は愚な り、愚禿が信は内は愚にして外は賢なり」と云々。この釈、卑謙の言辞をかり て、その理、翻対の意趣を存す。内に宏智の徳を備ふといへども、名を碩才道 人の聞きに衒はんことを痛み、外にただ至愚の相を現じて、身を田夫野叟の類 に&M000597;しくせんと欲す。これすなはちひそかに末世凡夫の行状を示し、もつぱ ら下根往生の実機を表するものか。しかのみならず、あるいは二教相望して四 十二対の異を明かし、あるいは二機比&M012050;して一十八対の別を顕す。おほむね両 典の巨細つぶさに述ぶべからず。 【3】 そもそも空聖人(源空)当教中興の篇によりて事に坐せしの刻、鸞聖人 法匠上足の内として同科のゆゑに、たちまちに上都の幽棲を出でてはるかに 北陸の遠境に配す。しかるあひだ居諸しきりに転じ、涼燠しばしば悛まる。そ のとき、驕慢貢高のともがら、邪見を翻してもつて正見に赴き、&M001238;弱下劣の P--1080 たぐひ、怯退を悔いてもつて弘誓に託す。貴賤の帰投遐邇合掌し、都鄙の化導 首尾満足す。つひにすなはち蓬闕勅免の恩新たに加はりしとき、華洛帰歟の運 ふたたび開けしののち、九十有回生涯の終りを迎へて、十万億西涅槃の果を 証したまひしよりこのかた、星霜積りていくそばくの歳ぞ。年忌・月忌・本所 報恩の勤め懈ることなく、山川隔たりて数百里、遠国近国の後弟、参詣の儀な ほ煽りなり。これしかしながら聖人(親鸞)の弘通、冥意に叶ふが致すところ なり。むしろ衆生の開悟、根熟のしからしむるによるにあらずや。 【4】 おほよそ三段の『式文』、称揚足りぬといへども、二世の益物讃嘆いまだ 倦まず。このゆゑに一千言の褒誉を加へて、重ねて百万端の報謝に擬す。しか ればすなはち蓮華蔵界のうちにして今の講肆を照見し、檀林宝座の上よりこの 梵筵に影向したまふらん。内証外用さだめて果地の荘厳を添へ、上求下化よろ しく菩提の智断を究めましますべし。重ねて乞ふ、仏閣基固くして、はるかに 梅怛利耶(弥勒)の三会に及び、法水流遠くして、あまねく六趣・四生の群萌 を潤さん。敬ひてまうす。